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無題

村井 良一  いわき市赤井

 12日から14日は家内の実家の四倉町白岩に世話になっていました。すぐ帰れるだろうという気持ちと、足腰の弱っていた親父では避難所生活はキツかろうとの判断があったからでした。14日にもっと遠くに避難といった時は、本当に困りました。様々な状況を考えてなるべく県内のどこかへと思ったのですが、頼るべき親戚や兄弟がいませんでした。どこに逃げるか本当に迷っていたとき、一本の電話がありました。それは50年近くも商売の取引を続けていた会津若松の味噌・醤油メーカーの社長からの電話でした。まるで救いの神様のようでした。旅館やアパートの手配、ガソリンも会社の備蓄を分けてくれました。さらには、私たちを慰めようと食事会なども段取ってくれました。そこには、私のところに営業に来ていた社員全員も「村井さん、しばらくです。」と顔を見せ励ましてくれました。この時ほど日々の付き合い方の大切さを実感したことはありませんでした。 

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