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広野町より福島に

鈴木 恵子  双葉郡広野町

三か月たってしまった。普通の生活?どんな事を言うのだろう。

喜多方・福島渡利・福島庭坂・会津高田・郡山の5カ所を行ったり来たりの生活をしている。飯豊連峰の雪景色を眺め、2・3日で戻れると思いながら、いつの間にか、あやめの季節になった。

放射線を心配する親を気にせず、幼稚園の庭で、自由に遊びまわる喜多方の孫。除染で土交換のため校庭の種類豊富な果物の実の成長を眺めながら、汚染や風評被害にあわなければ良いなと祈りながら、避難情報が気になり、コンビニに地方紙を買いに行く。そして、住んだことのない会津高田の病院で、40年生活を共にした元気だった姑が、退院することなく非難死亡した。

地元の寺も津波と地震で大打撃、加えて放射能による緊急時避難準備区域の指定も受けており、戻れず、郡山の兄弟のところで遺骨のままでいる。町民と一緒に体育館にいるべきだったのかと思い、トラウマになる。でも、五カ所で何不住なく生活できている。世話になった方達に「ありがとう感謝します」の言葉を早く言いたいのに・・・。自宅に戻り普段の生活ができるのはいつの事か?

福島庭坂果樹園地帯より


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