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無題

木村正弘  いわき市

テレビ報道の建屋爆発は原発に対する何の知識もない私には強烈な不安を抱かせました。ここから逃げるということが報道で言う一時避難とは似ても似つかぬものでした。一時的なものではないことは想像がつきそのあとの生活はとか、ことが事だけにもう戻れないのではとか家族4人の出発でした。

とりあえず生活ができる妻の実家の岩手県へと向かいました。遺体安置所の傍らを通り過ぎ、3月半ばといっても北国はまだ冬で夏タイヤのまま出掛けてしまった車は宮城県で大雪に遭遇です。スマホで道の駅を探し辿り着いた道の駅は水も電気も遮断されそこで厳寒の一夜を過ごしました。立ち寄る車もすぐにいなくなり燃料も底を尽き暖気も取れず車窓は降り続く雪で惨い風景でした。

出発からおよそ23時間後、繋温泉で1週間ぶりの入浴後コーヒー牛乳を片手に九死に一生の気分の頃知人からの電話で「メルトダウンしているよ」は絶望感でいっぱいでした。


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