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快晴だったあの日

匿名  

快晴だったあの日、あなたをいつも通り会社に送り出し、いつもより少し遅めの出勤だった私。完成したばかりの自慢の我が家で過ごす幸せな日々がずっと続くと思っていた、もちろん3月11日も。

お昼休みも終わり、午後の仕事が始まった時の異常な揺れ。津波は心配だったけど、化学工場で働くあなたのことが一番心配でした。

まさか、爆発なんてしてないよね?...やっとつながった電話で、無事であることを知り安心しました。私も、片道20kmの職場からは多少渋滞してもすぐに家には帰れるだろうと考えて家へ向かったけど、想像を越える悲惨な状況で車は走れず、歩いて帰ると決めました。

いつも何気なく通る道は真っ暗で怖かった。歩けないくらい足は痛くて、寒くて果てしなく遠い道。何とか家に着いて、あなたが待っていてくれた時は全身の力が抜けた。

電気も水道も使えず、寒い中寄り添って過ごした夜...明日の朝になったら様子を見ようと言ってたけど、突然の避難。まさか原発が、と信じられなかった。避難所で過ごした1ヶ月、その後お互いに仕事を再開したけど福島と埼玉の離れ離れの生活。こんなことになって本当に悔しい。

私が大好きなEXILEの歌詞『いつか2人で見上げた空に~』また、あなたと2人で暮らせる日を私は待ちます。3月11日は大震災・11月11日は結婚記念日。同じ11日でも意味は全然違う。左手に輝く結婚指輪が離れて暮らす私達を強く結んで、私を守ってくれてます。


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