無題
坂本 知恵子 いわき市平
3月11日は、パパ、ママ、お姉ちゃんとパパの実家に泊まりましたね。翌日には放射能汚染が心配されるということで、避難指示が出ました。いわきの親戚の家に向かったのです。
車が渋滞していて6時間近くもかかってしまいました。あなたはチャイルドシートでそれほどぐずりもしませんでした。
その親戚の家も三日目の夜には、県外への避難がいいだろうということで、親戚の人も一緒に、車2台で新潟県へ向かいました。
車中で私は思いました。この孫はもう頑張り始めていると。孫の京大(けいた)は暗い窓の外をしっかりと見つめているのです。
わずか1歳半でも、巨大地震、度重なる余震、大津波、放射能汚染、すべて受け止めているのかと思うと涙が流れてきました。4月から保育園に通うはずで準備もできていたのに・・・、先の見えない旅に出ることになりました。
新潟県の体育館、柏崎のアパートに5か月間一緒に生活しました。私達は仮設住宅に移り、顔を見られないのは淋しいけれど、頑張るよ!