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故郷は遠くなった

青木 幸夫  愛知県豊橋市

 安全神話を信じ「原発の地」富岡町で息子夫婦と孫4人で平穏に暮らしておりましたが、原発での事故で暮らしを奪われ、会津、喜多方、車中泊など経て、この豊橋に辿り着き、もう7か月が過ぎました。

当時を思い起こせば行政サイドのご配慮で県営住宅に入居することができましたが、所持金はだんだん、だんだん少なくなるし、環境の変化に伴うストレスで、筆舌につくしがたい悲しみに落ち込んでいました。

そうした中、思案にくれていた時に地区の民生委員さんの励ましを受け、地主さんから畑を借りていただき、野菜作りなどをするようになり、いやな気持が薄れ、畑に行くことが楽しくなるようになりました。また、同時に一時帰宅が認められ、貴重品を持ってくることができ、精神的に余裕が生じました。

 7人家族では、どうしても部屋が狭いうえに自分の好きな将棋などができないことから、再度、行政サイドのアドバイスを受け、書道・詩吟・太極拳・英会話などのクラブ活動が展開でき、自主的に将棋ができる現在の施設に転居しました。

ここでは、居住している方々と対局も可能で、将棋5段の日本将棋連盟豊橋支部の支部長さん並びに将棋5段の講師の方が施設に何回も訪問され指導してくださるので充実した生活が送れるようになり、「負」のイメージは薄らぎ、望郷の念はありますが...少しは和らぎました。

 テレビなどで被災地の報道に接しますと、つい先祖の待っている富岡が恋しくなってしまいます。早く高濃度の放射性物質が収束しないかなぁ・・・と思ってしまいます。しかし、このように癒してくださる方々がいますので、ストレスをためず、希望を持って前に進みたいと思っています。


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