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私の被災体験

猪狩 奉  山梨県南アルプス市

 私は長い間大熊町の双葉病院という精神科に入院しておりました。身体も健康だったので、病院の中の栄養部署で仕事をしておりました。

地震のあった3月11日も朝8時15分から仕事をしておりました。午後も12時15分から仕事をしておりました。二時間くらい仕事をしただろうか? その時地震が突然発生しました。揺れがあまりにも大きく立っていられず座り込んでしまいました。長時間揺れが続きようやく収まったので立ち上がり栄養士さんたちと外に逃げ出しました。3月11日の夜は双葉病院の多目的ホールというところで、ロウソクをつけて朝まで過ごしました。食べるものもなく水一杯で過ごしました。

それからは、避難所を転々と変え現在は山梨県南アルプス市の峡西病院で生活しております。

父母は15年くらいに前に亡くなり、そのころから原町市の福祉事務所から生活保護を受けております。東京電力から原発事故の補償金として、105万円が大熊町の東邦銀行の口座に振り込みましたと東京電力から通知が届きました。でも、生活保護を受けておりますので、現金収入とみなされますので福祉事務所に返してくださいと言われ、105万円全部持っていかれました。

現在は楢葉町役場から6月ごろ義援金として40万円峡西病院に送られてきました。また、福祉からは1ヶ月33,150円送られてきました。

入院費用と小遣いで1ヶ月35,000円くらい引かれます。残っているお金もあと数ヶ月でなくなってしまいます。どこからも収入のあてもなくなり、これから先どうして生活していくか、目が真っ暗です。

楢葉町から生活支援物資が届きますので、今のところ何とか間に合わせております。楢葉町の担当者の皆さん本当にありがとうございます。楢葉町の住民が一日も早く戻れるように願っております。自分も生まれ故郷の楢葉町に早く帰りたい気持ちでいっぱいです。

 


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