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家族の絆

飯塚 洋美  東京都立川市

 震災の翌日、私はたまたま実家に来ていた長男と高三の息子と一緒に川俣町の旧小島小学校に避難しました。三食、味もないオニギリだけの毎日が続き息子たちにとって想像もつかない日々だったことでしょう。そんな中、単身赴任中の主人が私達を迎えに来てくれたが、私は残った。町の臨時職員とは言え、正職員が昼夜を問わず町民のため一生懸命動いている中、その場を離れることなどできませんでした。3月17日の夕方、東京へ戻ったはずの長男が、笑顔で手を振っている姿が見え私はとうとう疲れのためか息子の亡霊を見てしまったか...と思ってしまいました。どうしたのか?と聞くと、まだ物が無いのだろうと自分もお金のない中、飲み物、梅干し等々段ボールいっぱいレンタカーに積んで私を迎えに来たと言うのです。私はもう涙がとまらず、それまで一緒に手伝いをしていた職員に頭を下げ、後ろ髪引かれる思いで福島を後にしました。今は、一日一日を大切にして、少しずつ前を向いて頑張っています。


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